“伝説の大投手”サチェル・ペイジって?

サチェル・ペイジが印刷されたアメリカの切手。 catwalker / Shutterstock.com

サチェル・ペイジの本名はリロイ・ロバート・ペイジ。サチェルはニックネームでした。

かつて、メジャーリーグからアフリカ系アメリカ人選手は締め出されていました。大投手サチュエル・ペイジも例外ではなくメジャーリーグで投げたことはありません。野手をベンチに下げてバッターと勝負するなどファンサービスにも優れていました。もちろん三振にとれるほど実力もたしかです。

時代はアフリカ系アメリカ人にもメジャーリーグの門戸を開きつつありました。そして1945年、ついにニグロリーグからメジャーリーグに移籍する選手が選ばれました。サチェエル・ペイジもいよいよメジャーリーグに移籍か、と期待されましたが選ばれたのはペイジではなく若手のジャッキー・ロビンソン。その後ロビンソンは新人王を獲得します。

諦めていたペイジはついに1948年、ようやくメジャーリーグのマウンドに呼ばれました。42歳の新人投手。大歓声で迎えられました。

42才ながら評判通りの活躍でチームはワールドシリーズに進出しました。

その後ペイジは1965年に59才で最後の登板を終えました。1971年、ニグロリーグからの特別選出により野球殿堂入りします。

ニグロ・リーグとは?

1905年のシカゴ・ユニオン・ジャイアンツ

ニグロ・リーグ(Negro League baseball)はアフリカ系アメリカ人や有色人種を中心にしたアメリカ合衆国の野球リーグです。

現在は存在しません。

白人中心のメジャーリーグなんて今では考えられない話です。例外的にメジャーリーグでアフリカ系アメリカ人もプレーすることがあったのですが、1900年以降は差別がひどくなり、その僅かな例外さえ認められなくなりました。

メジャーリーグへのアフリカ系アメリカ人の参加が認められるのは1945年です。戦争が終わるのを待たねばなりませんでした。

伝説の大投手

リロイ・”サチェル”・ペイジ

何から話せば良いのか困るほどの逸話に溢れた選手です。

二千数百試合に出場したと言われています。そのうち勝利数は2000勝と言われます。これだけでも言葉を失うほどの衝撃です。

日本だと1950年から69年のプロ生活で400勝した金田正一さんが最高ですから、5倍以上の勝利数です。

また、わざと2アウト満塁にして野手をベンチに下げ、バッターと勝負するというファンサービスも驚きです。

豪速球でも知られたペイジですが、大リーグの速球王ボブ・フューラー「自分の球がチェンジアップに見えた」という豪速球投手ぶり。球速は170km以上あったのではとも言われています。同時代の強打者ベーブ・ルースとの対戦はなかったのですが、豪速球を見て青ざめていたそうです。

日本との関わり

ニグロリーグでは日本人選手も活躍していました。

その名もジャップ・ミカド

ジャップという言葉は差別用語です。アメリカ人が日本人を指す際に使われました。残念ながら戦争などもあり、当時は一般的な言葉でした。彼の正体は「三神吾朗」と言われています。

ただ、このジャップ・ミカドと呼ばれた人間は一人ではなかったようで、オール・ネイションズというチームに所属していた代々の日本人選手を指すようです。

ミズーリ州カンザスシティの施設「ニグロリーグ野球博物館」ではニグロリーグ関連の収蔵品が展示されています。ここにイチロー選手が訪れ多額の寄付をしたそうです。

アフリカ系アメリカ人選手の活躍がなければ、いまだに白人中心のメジャーリーグだったかもしれません。

先人に敬意を表すイチロー選手らしい心配りです。

「栄光なき天才たち1」他作品紹介

『栄光なき天才たち』1巻 kindle版(サチェル・ペイジ含む)

サチェエル・ペイジが収められている「栄光なき天才たち1」では他に幾人もの偉人の話が収められています。偉大な業績を上げながらついに暖かな光に包まれることがなかった偉人たち…。

■電話の特許でグラハム・ベルに2時間先を越された「エリシャ・グレイ」

オリンピックに出られなかった「古橋廣之進」

■決闘に倒れた若き数学者「エヴァリスト・ガロア」

■原爆を生んだ「エンリコ・フェルミ」

■真のビタミンの発見者「鈴木梅太郎」

戦前の女性スプリンター「人見絹枝」

■赤狩りにめげずアカデミー賞を受賞した『ジョニーは戦場へ行った」』の「ドルトン・トランボ」

波乱の生涯を終えた偉人たちの人生に思いを馳せてみるのも良いでしょう。

コメント

    Isao Takahashi

    (2022-04-30 - 23:21)

    史上最高の投手は誰か
    という本を読みました。サチェルペイジの投球フォームの写真が何枚か載っていて、細身の長身で、まさに佐々木朗希投手のような体型•しなりを感じさせるものです。推定170キロとは、昔の道具を考えると捕れるミットがあったのか疑問ですが、大リーグ選抜メンバーを相手にした記録からして正確無比なコントロールと圧倒的なスピードとスタミナを有していたのは間違いありません。間近で見てみたいものです。

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