黒人歴史月間(Black History Month)は1926年に始まりました。黒人歴史家のカーター・G・ウッドソン博士(以下カーター博士)が正しい黒人の歴史の継承と、白人と平等な地位を築くことを目的として提唱したものです。
最初の頃、2月の第2週が「ニグロ歴史週間」でした。1976年以降からは2月いっぱいが「黒人歴史月間」となり、アメリカ合衆国の祝日になりました。
奴隷解放の父と呼ばれる第16代アメリカ大統領エイブラハム・リンカーンと奴隷解放運動家のフレデリック・ダグラスの誕生月を、「黒人歴史月間」にした事からもカーター博士の目的が表れています。
カーター博士が黒人歴史月間を提唱したのは、「正しい黒人の歴史の継承と白人と平等な地位を築くことを目的」と紹介しました。実は真の目的はその先にあります。
正しい黒人の歴史を人々に語り継ぎ、黒人の誇りを取り戻す事は大切です。黒人が白人と平等な地位を築き対等に暮らす事も大変に重要です。ただし、カーター博士の目的はそれだけではありません。
すべての人々が差別で苦しむ事がない、「黒人歴史月間」そのものが必要でなくなる日の訪れが本当の目的だったのです。
カーター・G・ウッドソン博士って?
「黒人歴史月間」を提唱したカーター・G・ウッドソン博士とはどのような人物なのでしょうか。
カーター博士は、1875年に黒人の両親の元で生まれ、1950年に亡くなりました。
奴隷として育った父親は、読み書きが出来なかったため、息子であるカーター博士の勉強に大変協力的でした。カーター博士は独学で学力を身につけましたが、生活のため働かざるを得なかった事もあり、21歳(20歳という説あり)になってから、アフリカ系アメリカ人の高等学校に進学します。
カーター博士は高校生活を2年間で終了させ、高校教師、母校の校長などの経歴を経て、やがてはハーバード大学で歴史博士号を取得しました。
ウッドソン博士の時代と現代
カーター博士の生きていた時代と比べ、現代の黒人の地位は向上しているのでしょうか。
カーター博士が生まれた1875年に、公民権法(公共の場に於いて人種差別を禁止する)が成立しました。しかしその4年後の最高裁で「隔離しても平等」なら差別ではないとの判決が下されました。
この事からもカーター博士が生れた頃の人種差別は、奴隷解放宣言後も根強いものと言えます。その後、1923年に新移民制限法によって外国人のアメリカ入国制限は、1965年まで続きました。
黒人の社会貢献や、その功績を認める動きは止みません。黒人初のノーベル賞受賞や州知事当選の歴史を重ね、2008年黒人初のアメリカ大統領の当選を果たしています。
ただし、これですべての差別が消えた訳ではありません。依然として人種、宗教、性別、社会的地位などへの差別は根強く残っています。
カーター・G・ウッドソン博士の本当の目的の日の訪れはもう少し先になりそうですね。
参考URL&書籍
米国の祝日 黒人(アフリカ系米国人)歴史月間2月 AMERICAN CENTER JAPAN
https://americancenterjapan.com/aboutusa/monthly-topics/1899/
カーターGウッドソンを称えて 世界のGoogleトップロゴ観察
アフリカ系アメリカ人タイムライン1619-1996 亜細亜大学
http://www2.asia-u.ac.jp/~chiban/AAtimeline.html
黒人の歴史の父と呼ばれる歴史学者 アメリカの国立公園を訪ねて
https://usnp.exblog.jp/6713077/
アメリカ黒人のあゆみ 敬和学園大学
https://www.keiwa-c.ac.jp/wp-content/uploads/2013/01/veritas02-11.pdf
アフリカ系アメリカ人の人種差別撤廃の闘い CiNii 杉渕忠基 亜細亜大学教授
https://ci.nii.ac.jp/els/contentscinii_20190206011426.pdf?id=ART0000436637
アメリカ公民憲法=1世紀にわたる理性の戦い J‐STAGE 科学技術振興機構
https://www.jstage.jst.go.jp/article/americanreview1967/1968/2/1968_2_161/_pdf
【参考書籍】
『アフリカ系アメリカ人』 朝日選書 猿谷要著
『アメリカの歴史』 株式会社 明石書店 富田虎男・鵜月裕典・佐藤円